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早速ですが、この動画から。



この動画は、1985年か86年頃ですので、約30年前になりますが、
これまでオフコースのギタリストとして、バンドで作曲を行ってきた
鈴木康博さんのDTM講座みたいなものです。

鈴木さんは、オフコース脱退後、「オフコースの活動を邪魔しないような音楽をやる」
として、打ち込み中心のコンピュータミュージックに転じました。
(その後、本職である、フォーク系に戻ってますが)

当時は、TMネットワークの小室哲哉さんもこんな感じで、機材並べてましたね。

ニコ動のコメントにもありますが、映ってる機材で、数千万の機材です。

当時は、キーボード、シンセサイザー、シーケンサ、ドラムマシンなど、
それぞれ、機材をそろえなければならなかったんですね。

鈴木さんが最初にキーボードのパートを打ち込んでいる、黒い機材が、シーケンサー
です。

※音楽用シーケンサーと、PLC(三菱電機の商標で、シーケンサ)との区別ですが、
音楽用はシーケンサーと伸ばし、PLCを差す場合は、シーケンサと伸ばしません

このシーケンサーは、DX1(キーボード)からのMIDI信号により、音譜が、シーケンサー内に
電気信号として取り込まれ、数値化して表示されます。
この数値をいろいろ変化させ、アルペジオとか表現するのですが、見てると解るとおり、
表示部がちょっとしかありませんし、数字で出てくるので、ものすごく、解りづらいでしょうね。

これを考えると、今のピアノロールでの打ち込みがどれだけ進化しているかが解ります。

次にドラムマシーンで、指ドラムでステップ入力していますが、これに関しては、
今も余り変わりませんね。

そして次に、ベースを、これまた、数値だけで打ち込みを行う・・・
もう全く解りませんね。

この動画を見ていると、30年前も、バンドでなくても、楽器が弾けなくても作曲することは可能ではありますが、
相当な機材と、地味な打ち込み作業が必要だと言うことが解ります。

今は、これが、たった1台のパソコンと、CUBESEなどのDAWにより、オールインワンで、
しかもものすごく作業効率高く、ビジュアルにも富んで作曲することができるのです。
しかも数万円のパソコンと、DAWだけで。

鈴木さんは、東工大でロボット工学を学んだ、理数系の方ですが、
当時は、こういう、ロジカルな方でないと、なかなかここまで使いこなすことはできなかったでしょう。

これぞ技術の進化ですね!

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2015/07/04 23:46 [edit]

category: 音楽あれこれ

thread: DTM - janre: 音楽

tag: 作曲  ボカロ  DTM  鈴木康博  DAW  DX1  シンセサイザー  シーケンサー 
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Sat.

【音楽あれこれ】ロックの定義  

何だかんだで1週間ブログ更新してませんでした。

さて、タイトルに悩んだんですよ。今日のテーマは。

じつは、なんくいさんのブログを拝見していて、オフコースのことが書かれていたのですが、
ふむふむと読む一方、ちょっと違和感を感じるので、何か反論ではないのですが、
補足というかそう言ったのを書きたいという、単なる対抗心で、書き始めているわけです。

ちょっともやもやした、なんくいさんのブログはこちら

歌謡曲探究18オフコースが定着させた「和様折衷ポップス」

まず、歌謡曲が引っかかるんですが、これはテーマなので、とりあえずは置いておいて。

デビュー当初から、「さよなら」でブレイクする少し前の1970年代末ごろまでは
「フォークソング」と呼ばれ、「さよなら」以降、1980年代末の解散の頃までは、
「ニューミュージック」と呼ばれ、今では、J-POPと呼ばれ・・・

実際には、彼らは、ミュージックジャンルでカテゴライズされるのを、極端に嫌ったのです。

2人の時代も、5人のバンド時代も、そしてソロになってからも、一貫して、彼らはロック」だったのです。

さて、ロックミュージックってどんな音楽?って聞かれると、そのカテゴライズは曖昧です。

テンポが速い曲がロック、遅い曲はロックじゃない・・・
派手なエレキギターやドラムがロック、フォークギターはロックじゃない・・・
フルバンドがロック、弾き語りはロックじゃない・・・

1970年に日本初のロックバンドと言われた「はっぴぃえんど」がデビューしました。
でも、「はっぴぃえんど」の曲を聴くと、フォークとどこが違うのでしょうか?

エレキギターで派手にリフを入れているわけでもなく、テンポがものすごい速いわけでもない。
でも彼らは、ロックバンドでした。

同じ時期のミュージシャンで、矢沢永吉さんがロックで、吉田拓郎さんや泉谷しげるさんがフォーク。

いろいろありますが、僕は、音楽に取り組む姿勢と、音の質がロックなのかな?
とも思います。
そして、音楽を聴く人が、これがロックだといえばロックなのでしょう。

オフコースに話は戻ります。

僕は、一貫して彼らの音楽はロックだったと思います。

ごく初期の2人の時代の曲は、一般的には、フォークソングと呼ばれるジャンルだったかもしれません。

しかし、当時のフォークソングとは一線を画し、それこそなんくいさんの言う、シティーミュージックといっても
良いほどの、クオリティの高さと繊細さを持っていました。

70年代のアーティストの多くがビートルズに影響を受けたのですが、彼ら2人は、PPMの影響
を受けていたことも、他のフォークのアーティストとは違うテイストであった理由の一つだと思います。

オフコースが秀逸だったのは、その音楽性ばかりはありません。
オフコースの音楽性の高さは、主に鈴木康博さんによるものです。
小さい頃からジャズを聴いて育ち、音楽理論に長け、いわば、テクニック、作曲、編曲では、
小田和正さんの先生でもあった存在でした。

そして、小田和正さんは、歌謡曲から入り、「ムーンリバー」に衝撃を受けて以来、
映画と音楽の融合、音楽によって、映像が浮かび上がる、またはその逆について、
オフコースでデビューした当初から考えていた方です。

だから、小田さんの歌詞には、いつも情景が浮かび上がり、なんくいさんも触れた様に、
四季が感じられるのです。

しかし、ふわっとした、美しい情景だけでは、売れる曲にならない。
そこにメスを入れたのは、1975年のアルバム「ワインの匂い」から関わる、
東芝の武藤ディレクターです。

さて、話を先に進める前に、ロックの話に戻りましょう。

その武藤ディレクター。1975年に、できたばかりの「ワインの匂い」と、「眠れぬ夜」という曲を、
ある人物に聴かせます。

それがオフコースのドラマーであった、大間ジローさんですが、この2曲を聴いて、
「オフコースって名前は知ってたけど、何か女みたいな声で歌ってるくらいしか知らなかった。
ちゃんとレコード聴いたら、これはすごい!本格的なロックだよ!って感動した」

とそのとき、武藤ディレクターに話したそうです。

レッドツェッペリンに影響を受けたジローさんがオフコースはロックだと。
翌年の彼の加入によって、オフコースは、本格的ロックバンド化して行くわけです。

同じ時期、武藤ディレクターによって、オフコースに引き合わされたのが、
大間ジローさんとともに秋田から上京し、ジャネットでも一緒だった、松尾一彦さん、
そして、大阪から連れてきた、バッドボーイズの清水仁さん。
バッドボーイスは、その少し前まで、大阪では、ビートルズのコピーバンドとして、
それなりの知名度と活動をしていましたが、メンバーそれぞれの素行も悪く、
解散直前の時期でした。

PPM、レッドツェッペリン、ビートルズ、それぞれがうまく融合して、あの音楽性の高い、オフコースに
なり得た訳ですね。

どこかで、加藤茶さんが、
「いかりやさんはジャズで、仲本さんがロカビリーでしょ、高木さんがハワイアンだから、一緒にやって合うわけがない」
と、ドリフターズがお笑いに方向転換した理由を話してましたが、
オフコースは見事に融合した訳です。

武藤ディレクターに戻りましょう。

アルバム「ワインの匂い」で、オフコースの音楽の作り方に触れた武藤ディレクターは、
「小田君の歌詞は、具体性がない」と言っていました。

確かに、情緒あふれる光景ではあるのですが、抽象的で、情緒的で、
具体性がないと言われればそうかもしれません。

そこでできあがったのが、1977年発売の「秋の気配」
この曲の歌詞で、「あれがあなたの好きな場所 港が見下ろせるこだかい公園」
と、横浜の港の見える丘公園をズバリ差しています。

でも、武藤ディレクターは不満だったようです。

「これでもかなり具体的に書いたんだけど・・・」
と後に小田さんはこう振り返っています。

しかし、その後の「愛を止めないで」、そしてブレイクのきっかけとなった「さよなら」
などは、強いメロディ、具体的な歌詞(「さよなら」のくり返しなんて、言葉が強すぎますよね)
で、ヒット曲となっていくのです。

当時の四畳半フォークやメッセージフォークの様に、生活臭が感じられる
ことは無かったものの、音楽性の高さを維持しながら、情緒だけでは売れないという
武藤ディレクターの理論は、オフコースの音楽性を高度に高めてそして、売れる曲
へと導いていったのです。







2015/06/27 14:26 [edit]

category: 音楽あれこれ

thread: お気に入り&好きな音楽 - janre: 音楽

tag: オフコース  小田和正  鈴木康博  大間ジロー  清水仁  松尾一彦  ドリフターズ  東芝 
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この動画、すげー!!!

コジマ電気で、YMOの「東風」を集団弾き逃げって動画なんですが。

コジマ電気の楽器コーナーに置いてある、おもちゃみたいなキーボード。
決して、YAMAHAやKORGやRolandなどの本格キーボードではない、
たぶん、CASIOの1万円前後のやつであろうキーボードで、YMO弾いてるよ~

しかもクオリティ高すぎ!

まわりのお客さんとか、聞き入っちゃってるんじゃないかな?
店員もたぶん、クオリティが高いので止めに入らない。

これが下手くそだったら止めるんだろうけどね~

今日は、YMOの曲についてではなく、この動画に出てくる、
クオリティの高さに驚いてるブログですね~

同じメンバーなのかな? ライディーン弾き逃げもありますので、
両方どうぞ!

かなりノリノリですね!!

それにしても、うっすら聞こえる、店内アナウンスや、放送が、いいアクセントになってます♪



2015/05/28 22:13 [edit]

category: 音楽あれこれ

thread: YouTube動画 - janre: 音楽

tag: YMO  弾き逃げ  コジマ電気  ベスト電器  ライディーン  東風  坂本龍一  細野晴臣   
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1970年結成。当初3人のフォークグループでスタートしたが、その後、4人の時期を経て、
1973年に小田和正鈴木康博のフォークデュオとなる。
1976年頃から、大間ジロー、酢水仁、松尾一彦がサポートとしてLIVEや
レコーディングに参加し、1979年に正式加入となり、5人のオフコースとなる。

1979年のさよならのヒット後、松任谷由実、TULIPとともに、
ニューミュージックというジャンルを形成。

1982年6月の武道館コンサートでは、前人未踏の10日間連続コンサートを
開催。この10日間だけで、延べ、10万人以上の動員となる。

1982年武道館コンサート後、鈴木康博が脱退。グループも1年半の活動休止となるが、
1984年、君が、嘘を、ついた。で鈴木を除く4人で活動再開。
1989年2月の東京ドームコンサートで19年間の活動に終止符を打つ。

というのが、ウィキペディア的、オフコースの略歴ですが、
それ以上に、彼らが残した、そして現在では当たり前のシステムが存在するのです。

それは、原盤権

著作権というのは皆さん聴いてことがあるでしょう。
音楽の話に限れば、音楽を作った人。それはすなわち、作詞者、作曲者、編曲者に
支払われる、楽曲使用料のことです。

俗に言う、印税と言われるものとなります。そして、その楽曲をオフィシャルで歌った人に
支払われる歌唱印税も著作権の中に入ります。

たとえば、大滝詠一さんが、松田聖子さんに書き下ろした、「風立ちぬ」という曲。
これは、作詞の松本隆さん、作曲編曲の大滝詠一さん、歌手の松田聖子さん
この3人により、「風立ちぬ」という楽曲が成立しています。

ですので、この3人には、著作権というものが発生するのです。

この3人以外の誰かが歌った場合は、この3人に著作権使用料を支払わなければなりません。

さて、著作権とは別に、著作者を保護する権利というのに、原盤権というのがあります。

著作権は、1つの楽曲に対し、作詞作曲編曲など、それぞれ個人が楽曲の権利を持つのに対し、
原盤権というのは、楽曲そのものの使用権となります。

その関係は、クルマで言う、任意保険と自賠責保険に似ています。

自賠責保険は、クルマそのものに保険をかけるものに対し、任意保険は、個人が自動車運転中の
リスクに対し、保険をかけるものです。

ここでは、任意保険が著作権、自賠責保険が原盤権となります。

1970年代当時、もちろん、原盤権とううものはありましたが、
楽曲の原盤権を持つのは、主に、テレビ局でした。

テレビの歌番組で使用するから、その見返りとして作り上げたのですね。

あるアーティストが玉を作りました。それをテレビで使ってくれる。
宣伝効果が高いから、その後売れるかもしれない。
だから、著作者(実際には、レコード会社)は一方で著作権をもらいながら、
テレビで使われるたびに原盤権をテレビ局に支払ってたのです。

タレントが歌を歌う場合やアイドル歌手などを除いて、当時、
レコード会社が、主にプロモーションをしていましたので、
レコード会社としては、売れるかどうか分からないアーティストに対し、
レコーディング費用を負担し、プロモーション費用を負担し、その上、
テレビで使ってやるからと言って、広告料まがいの原盤権まで負担を強いられる。
こういう状態が続いていたようです。

「これからはアーティストが原盤権を持たなきゃダメだよね」
1976年頃の鈴木康博さんの言葉です。

これにより、1976年に自らの独立事務所、「オフコースカンパニー」を設立した
オフコースは、同時に音楽出版会社「フェアウェイミュージック」を立ち上げます。

これは、フジテレビ系の音楽出版会社のフジパシフィック音楽出版(現在のフジパシフィックミュージック)
に権利を3割持たせつつも、残り7割は、作った自分たちに楽曲そのものの使用権はあるんだよという
システム構築に成功したのです。

これにより、彼らオフコースの楽曲収入は飛躍的に伸びました。

たとえば、1981年のアルバム「We are」は、約50万枚のセールスでしたが、
当時の配分率でいうと、

LP1枚2800円で、このアルバムは9曲入っていました。
そのうち、2800円の10%はジャケット代として、レコード会社が、
制作費用的な名目で、もらいます。

残り、2520円のうち、10%が著作権となりますが、そのうち50%がJASRACの取り分となります。
ですので、126円がJASURAC、のこり126円が著作者となります。

このアルバムは50万枚売れましたので、126円×500,000=6300万円が著作者の元に入ります。

さて、原盤権ですが、こちらも、2800円から10%差し引いた2520円の10%がまるまる原盤権です。
ですので、252円×500,000=1億2千6百万円が原盤権となり、そのうち7割がオフコースの元に
リターンするのです。

この仕組みは、そのほかのアーティストにすぐに波及しました。
というのも、レコード会社がこの仕組み作りに、かなりのバックアップをしたと思います。

これにより、レコード会社は、新人のプロモーションに最初はお金をかけても、最後は、原盤権で
大幅なリターンが目指せることになるのですから。

さらに、現在では、テレビだけではなく、カラオケ使用や、楽譜、配信なども、原盤権が活きています。
なので、CDが売れなくても、原盤権を持ってる限り、使用料は取りっぱぐれないのです。




2015/05/04 22:06 [edit]

category: 音楽あれこれ

thread: 音楽的ひとりごと - janre: 音楽

tag: 著作権  原盤権  オフコース  鈴木康博  小田和正  作詞  作曲  編曲  歌手 
tb: 0   cm: 0
さて、引っ越ししました。
明日から、痛勤片道1時間半から、約10分に変わり、5時半起きから、たぶん、7時に起きても余裕の状態と
なりました。

んでもって、サボり気味だったブログは少しずつ復活していきます。

サザエさん症候群ってご存じかと思いますが、日曜日の夕方、
サザエさんが始まることになると、明日から仕事か~と憂鬱になることですが、
この替え歌は、ものすごく共感しますね。

あったかいんだからぁ♪の替え歌で、かえれないんだからぁ♪って言うのを
見つけました。

最初聴いたとき、歌詞が結構笑ったんですよ。これ

何人か「歌ってみた」で、ニコ動にアップしていますが、ダントツに可愛いのがこれ!
癒し声でめちゃくちゃ可愛いww
リピート必須です!!!!






2015/04/12 11:02 [edit]

category: 音楽あれこれ

thread: おすすめ音楽♪ - janre: 音楽

tag: 作曲  ボカロ  初心者  YOUTUBE  ニコ動  かえれないんだからぁ  あったかいんだからぁ 
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